自分で癒せる。
他人を使って自分を癒そうとするのも、
癒していない自分を脇に置いて他人を癒そうとするのも、
同じだ。
自分を癒したい、という思いがそうさせる。
でも、多くの場合、それは失敗に終わる。
最初はよくても、やがて機能不全を起こす。
そして、他人を使って自分を癒そうとすることが、かえって癒されない自分を浮き彫りにさせる。
ならば、どうして、自分が自分を癒そうとしないのだろう。
それが一番シンプルなのに、それが一番簡単なはずなのに。
自分は自分を癒せない、自分の中にはその力はない、と、信じているから。無意識に、かつ、強力に信じているから。自分が自分を見くびっているから。
だったら、本当はそんな癒せない自分が他人も癒せるわけがない。なのに他人を癒そうとする。この矛盾を直視したら、笑うしかない。
去年、絶望と浄化を繰り返す中で、私は自分のハートと出会った。
他人を使って自分を癒そうとすることが完全に失敗に終わった時、一つの恩寵として、ハートの扉が突然グワーンと開いた。
ここ数日の間に、「ハートが開く」というのが体感としてやってきている。胸のあたりを意識すると圧倒的な安らぎと言うか愛のエネルギーが溢れでてくる。心理的な側面で言えば、私の心にあるあらゆる思い、感情を、誰に見られでも構わないと言う開放感。私が私を全面的に受け入れている状態。
— ayase (@surekarasi) 2017年5月28日
そこには、ものすごい量の、愛としか呼びようのない至福のエネルギーか眠っていた。癒しは、確かにそこにあった。
自分にしか自分を癒せない。
他人に自分の中の力を引き出してもらうことはあっても、
他人には自分を癒すことはできない。
自分だけが完全に自分を癒すことができるんだ。
これを、肚に落として生きる。私はそう決めて生きることにした。
癒されたい、という自分がいたら、この自分を癒すのは自分。そう、覚悟を決めたら、あとはハートを信頼するだけだ。