すれっからし手帖 II

魂のわたしとして。

自分で癒せる。

他人を使って自分を癒そうとするのも、

癒していない自分を脇に置いて他人を癒そうとするのも、

同じだ。

自分を癒したい、という思いがそうさせる。

 

でも、多くの場合、それは失敗に終わる。

最初はよくても、やがて機能不全を起こす。

そして、他人を使って自分を癒そうとすることが、かえって癒されない自分を浮き彫りにさせる。

 

ならば、どうして、自分が自分を癒そうとしないのだろう。

それが一番シンプルなのに、それが一番簡単なはずなのに。

 

自分は自分を癒せない、自分の中にはその力はない、と、信じているから。無意識に、かつ、強力に信じているから。自分が自分を見くびっているから。

 

だったら、本当はそんな癒せない自分が他人も癒せるわけがない。なのに他人を癒そうとする。この矛盾を直視したら、笑うしかない。

 

去年、絶望と浄化を繰り返す中で、私は自分のハートと出会った。

他人を使って自分を癒そうとすることが完全に失敗に終わった時、一つの恩寵として、ハートの扉が突然グワーンと開いた。

 

 

そこには、ものすごい量の、愛としか呼びようのない至福のエネルギーか眠っていた。癒しは、確かにそこにあった。

 

自分にしか自分を癒せない。
他人に自分の中の力を引き出してもらうことはあっても、
他人には自分を癒すことはできない。
自分だけが完全に自分を癒すことができるんだ。
これを、肚に落として生きる。私はそう決めて生きることにした。

 

癒されたい、という自分がいたら、この自分を癒すのは自分。そう、覚悟を決めたら、あとはハートを信頼するだけだ。