思考。
思考があるから苦しいのではない。
その思考を信じているから、
その思考の言うことが事実だと認識するから、
その認識がもたらす反応・感情が不快だから、
苦しいのだ。
背の高い人が「ちび」と言われて苦しまないのは、自分=ちびという思考を信じていないからだ。
人間は、まるで装置のようだと思う。
その思考も、その認識も、その感情も、自覚的に生じさせているものではない。
すべて勝手に起きて、「苦しい」まで自動的に運ばれていく。勝手に起きてしまうのに、その自動システムを自分なのだと思い込み、その自分を責めて否定し、さらに苦しむ。自責に耐えられないと、他者や世の中を責めて混乱を抱え込む。
けなげだな、と思う。
愛しいな、とも。
そんな思いがわいたら、しめたもの。
けなげで、愛しい自分にできることは、ただ一つ。
その思考を信じないこと。
その思考を疑うこと。
その思考の外側に行き、距離をとって、観察すること。
そうしたら、その思考が自分じゃないって、ありありとわかるから。その自動システムを味わい愛でながら、装置でしかなかった自分を少しずつ自由にしてやれるから。