すれっからし手帖 II

魂のわたしとして。

自分の心を青空にする。

息子と夫、2人でお泊り帰省中です。

久しぶりに、ゆったり、のんびり、優雅なひとり時間を満喫して、息子への愛おしさ、夫や義理の実家への感謝が静かに湧いてきます。

 

夏休みの日々、息子と一緒にいることが多くて、息子からの要求も絶え間無く、息子に対する気持ちの中に、

「もう、イヤー!あっちいけー!私をひとりにしてくれー!私の邪魔するなー!」

というのがかなり居座っていました。

 

まあ、愛しい息子に対して母としてあるまじき感情、という常識的な話は置いておいて、これは私にとっては大切な大切な感情であり、自分に対処を迫るサイン、無視するわけにはいきません。

 

この感情に居場所を与え、話を聞き、その願いを受け入れることが、なによりも優先事項。

 

そして、その願いが叶えられるやいなや、本来の愛に根ざした感情が、戻ってきたわけです。

 

本当は、これでめでたしめでたしなんです。が、ここから、やってしまいがちなんですが、「ああ、あんな酷いこと考えて悪かったなー」「自分だけ楽になって申し訳ないな」となるのが母のさが、いや「いい人」思考の癖です。

 

「もう、イヤー!」という思いが満たされ、心の曇り空がスッキリした青空に変わったのに、また違う雲、罪悪感という分厚い雲を居座らせてしまうのではもったいない。

 

自分を優先するのは悪いこと、嫌な感情や思いは感じないようにして愛だけを感じるべき、に支配されると、青空を覆う雲はどんどん厚くなり、広がってしまいます。

 

イヤー!をしっかり感じてその欲求を満たしたからこそ現れてくる愛、なんですね。この順番、この仕組みがわかっていれば、罪悪感がきても「いやいやいや、それ違うから」と軽やかにスルーできます。

 

例えば、あの人が憎い、あんなことされて嫌だった、という思いを、無理やり思考でねじ伏せることってありますよね。

 

一般常識の世界や、悩み相談の回答も、「あの人にもいいところがあるよ」「それくらいは我慢しないと…」的なものが多くて、他人に相談したら苦しみが増した、という場面も少なくありません。

 

憎しみ、嫌い、という感情は、あんまり歓迎されない感情たちです。でも、やってきたこの感情たち、今あるこの感情たちをないがしろにしたらしただけ、雲は分厚くなります。

 

この感情たちを充分に受け入れてはじめて、例えば「あの人にもいいところがあるよ」も素直に無理なく受け入れられるのです。この逆は、根本的な解決にはなりません。

 

まずは、自分の心を青空にすること。いい人思考や罪悪感の強い人ほど、ここに専念すればいい。

 

「イヤー!」が癒されつつある、ひとり時間のひとり言でした。