すれっからし手帖 II

魂のわたしとして。

こんな自分、と生きていく。

やりたいなぁと思っていたことをすんなりやれてしまう人

自分にはとてもできない道を突き進みキラキラ輝いている人

頑張って仕事して頑張って家事もして頑張って育児までスマートにこなしている人

 

自分とは違う、そんな人たちのニュースを見たり、そんな人たちの情報に触れると、途端に落ち込んだ気分になる。

 

この気分、嫉妬や自己否定や罪悪感、みたいなもの、

言い換えれば、この人たちと比較して、自分はこんなだ…、という自分に失望する思いから発生する気分だ。

 

この気分が起きる時は、この思いに基づいて、この思いを真実だと信じて行動しそうになるけれど、

 

たとえば、だったら、自分もやりたいことをやればいい、自分もキラキラ輝く道を探せばいい、自分も頑張ったらいい、と、今のこんな自分を何とか変えようとすることに舵を切ろうとするけれど、

 

でも違うのだよ、全然違う、そうじゃない、と気づいた。

 

この気分がやってきたら、この気分をもたらした思いこそ、疑うべきって。

 

「こんな自分」と自分に失望し、自分を貶めた思いの方にこそ、取り組むべきだって。

 

やりたいなぁと思っていたことがなかなかやれない自分

自分も他人も魅了するキラキラ輝いた道を歩いていない自分

仕事も家事も育児も全然頑張っていない自分

 

こんな自分をやりたくて、私は生まれてきたんだし、こんな自分を生きたくてこんな自分を生きている。こんな自分が考えること、感じること、ポジティブもネガティブもすべて体験したくて、私は今ここにいる。

 

あの頃のこんな自分も、今のこんな自分も、未来のこんな自分も、全部よしなんだ。

 

自分が、こんな自分を受け入れた時に行動が起きるなら、こうありたいという思いが起きるなら、それに従えばいいし、起きなければ、それはそれでいい。

 

覚えておきたい。

落ち込んだ気分は、こんな自分、がもたらすんじゃない。こんな自分、と自分に失望する思いから起きるんだ。

思いを外したら、こんな自分は、どんな自分だって、いつも完璧なんだってこと。