すれっからし手帖 II

魂のわたしとして。

ただ、選ぶ。

昨日、行きつけのスーパーで、ある場面に遭遇。

 

会計の時に並んだ列のレジの店員さん、ものすごーく、ものすごーくレジ打ちが遅い。しかも、前のお客さんと世間話して時折手が止まる。

 

うんと前の私は、 

「ちょっと、いい加減にしてよ。後ろで待ってるお客さん見えてますか〜?」

と口に出さないまでもイライラモード全開で、別のレジ打ちが早そうな店員さんの列に移動してたかな。

 

そして、なぜか移った途端、レジが故障したり、別の店員さんに交代に変わってしまったり、お客さんが何やらクレーム言い出したりして、結局、移る前のレジより遅くなる、なんて現象を作り出していました。

 

最近の私は、↑の経験もあって、こういう場面でめったに移りません。状況や人を責めたり否定する意識が、不調和を作り出すことも肚に落ちたので、その状況を受け入れることを選んできました。

 

まあでも本心は早く会計を済ませることを望んでいるので、妙なくすぶりが心の中に残る感じ。でも、上の感覚よりはうんとラクです。

 

昨日は、この二つとは違う感覚がやってきました。

 

まず、そのゆっくりペースの店員さんをみて、

「あらま、おっそーい」

とは思ったけれど、ほとんど腹が立たなかった。そして、これまた私の前のお客さんがのんびりとした雰囲気の人で、二人が楽しそうに話す姿をみて、「ああ、楽しいんだな…」とほっこりとした気分に。

 

一瞬、このまま待つのもいいか、とも思ったのですが、その時の私の正直な気持ちは、できたら早く家に帰りたいなぁ、だったのです。

 

で、ふっとその自分の感覚に従って、隣のキビキビとした店員さんの列に移動したんです。半ば勝手に体が動いた感じ。

 

誰も責めず、何も否定しないで、ただ選ぶ、が自然に起きました。

 

すると、思ったとおりのキビキビ店員さんで、あれよあれよとお会計が終わりました。

 

ついでに、私の中に、気持ちいい、という感覚がやってきました。

 

この気持ちいい、って、もちろんレジが早くてお家に帰れるっていう自分の欲求が叶えられたのもあるんですが、

 

それよりも、

 

みんなそれぞれのあり方、それぞれの世界、それぞれの好み、それぞれの感覚でいいんだよね、みんな自分の好きなのを選んでいいんだよね、っていうのをグワーンと体感したゆえのもの。

 

スーパーのレジなんて超限定的な話ではなくて、あらゆることにあてはまるのではないかしら。

 

人を責めて、自分を責めて、のスパイラルから抜け出すとき、ただ自分の感覚に従って自分の最良を選ぶとき、そこには全体にとってまんべんなく優しい世界が広がっています。