すれっからし手帖 II

魂のわたしとして。

友だち。

人との交流が、いま、かなーり薄い。

 

1日の中で息子以外の人と話さないことも結構あるのだけど、そんなには苦じゃない。大丈夫か?私、となりつつも、寂しさより楽さのが上回る。ランチやお茶したいよりめんどくさいが勝ってしまう。おしゃべりしたいより愚痴聞きたくない、相談相手とかムリーが上回る。

 

苦の部分もあるけれど、寂しいのもあるけれど、それはどっちかというと、人間関係が薄いことそのものよりも、そういうのが平気な自分はおかしい?一人でいる時間が極端に多いのは変わってる?という他者目線を意識した時に出てくる思考のせいかな。

 

私、ほおっておいたら一人で結構長く引きこもれる生き物でした(笑)。ナマケモノ

 

ずっと人づきあい、得意な方だと思っていた。仲良くなるのも早い、とも。

 

でも、全然違ったな。笑っちゃうほど苦手だ。

 

ずっと頑張ってたんだな、と思う。

普通でいるために、子どもの友だち付き合いのために、私はたくさんの友だちに囲まれているという安心感を得るために、誰かの愚痴聞き役や相談相手をして自分の存在を必要と感じてもらえているという実感を感じるために。

いや、もちろん、その付き合い、全部悪くなかったんですけどね。一つひとつ大切なつながりでもありました。

 

でも、多くは、時間と共に環境の変化と共に人生の優先順位の違いにより流れていくもので、今の私にはもう合わないもの、重ならないものとなっちゃった。小麦と同じ。

 

ちなみに、数十人いるLINEの友だちリストの中で、この人は私の友だちだなって思う人(向こうがどう思っているかはわかんないけど)を数えたら3人とか4人とかそのくらい。 少なって自分でもちょっと引いた。

私、友だち少ないです!間違いない。今頃自覚した。

 

 

そんなこんなで友だちについて考えていたら、谷川俊太郎氏の作品の中に「ともだち」という詩があるのを思い出した。そして久しぶりに読んでみた。子どもが小さい時に何度か読み聞かせをしたとってもいい詩です。

 

その中で

今の私にピンとくる部分いくつか。

 

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ともだちって いっしょに かえりたくなるひと。
ともだちって みんなが いっちゃったあとも まっててくれるひと。
ともだちって そばにいないときにも いま どうしてるかなって おもいだすひと。

ともだちはともだち
すきなものが ちがっても ともだちは ともだち。
ことばが つうじなくても ともだちは ともだち。
としが ちがっても ともだちは ともだち。
おかあさんと おとうさんも ときどき ともだちみたい。
にんげんじゃなくても ときには ともだち。

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「ともだち」谷川俊太郎より抜粋

 

ともだち

ともだち

 

 

あは、でも、ともだちいいなぁ。ちょっと泣ける。じーんとくる。新しいともだち、欲しいな。楽でめんどうくさいのが少なくて、愚痴や相談がないやつ限定で。