すれっからし手帖 II

魂のわたしとして。

雅子様。

雅子様を見ていて感じる、

圧倒的な美しさと輝き、魂がしっかりと乗っかった時の命の勢い。

 

魂の解放が令和とともに始まった雅子様の姿は、

同じように、それを望む、日本人の多くの人の魂を揺さぶり、鷲掴みにした。

あれほどよく聞かれたバッシングの声は鳴りを潜め、ただただ雅子様の魅力を語る声ばかり、というのは不思議でもなんでもない。

 

事情はあるにせよ、

魂に沿わない生き方をしている人の空気は重く苦しく、それを見ている人の心もそうさせる。バッシングしたくなる人をも生み出してしまう。

魂に沿った生き方をしている人の空気は軽く愉しく希望にあふれ、それを見ている人の心もそうさせる。バッシングしてきた人たちを賞賛する人たちにいともたやすく変えてしまう。

 

日本を象徴する人の姿は、日本人の未来の姿かもしれない。

特に、自分の魂を、家庭や仕事、しがらみや社会通念などあらゆる事情の中で窒息させてきた女性たちには、雅子様の姿が希望の印として一際鮮やかに見えるはずだ。

 

魂は死なないから、窒息しても、抑圧しても、その時が来たら必ず息を吹き返すから、大丈夫。

10年以上も心の病に苦しんだ雅子様も復活を遂げたのがいい見本だ。

 

雅子様はわたしでもあり、

雅子様はあなただ。

 

令和はそんな時代になっていく。

魂の解放が進む時代に。

魂がぴたりとおさまった命が自分の使命を果たしていく時代に。