すれっからし手帖 II

魂のわたしとして。

内側=外側、内側→外側。

心への興味や探求の終着点が、悟りだとしたら、私はその次元にはいないし、そもそも悟りを求めてきた自覚もない。

 

ただ、幸せになりたかった。

苦しみを、生きづらさを手放したかった。

ただ、それだけ。

 

まあ、心に意識を向ける人間というのは、そんなものだよね。

 

その過程で、何度も何度も突きつけられたのが、

 

内側=外側、内側→外側、

 

というシンプルな公式。

 

もう、これしかない、という仕方で腑におちることを何度もしながら、何度も抵抗し、内側を棚に上げて外側を恨みたおした。

 

でも、結局は、いつも戻るしかない、

内側=外側、内側→外側。

 

つまり、自分の内側にあるものしか外側には現れないないのだよ。流行りの言葉に言い換えれば、自分の現実は自分が作っているのだよ。

 

この真理に抵抗しつづければ、この公式は自分に厳しく作用しつづけ、この事実を完全に受け入れれば、これほど優しく愛に満ちた公式はない。

 

そして、多分、私は今もこの公式を受け入れるプロセスを歩いている。楽しみながら。時に苦しみながら。

 

あなたは自分が創造したものと、外の世界で出合うのです。恐れずに状況に向き合いなさい。そうすれば向き合う状況はなくなります。

(略)私たちは自分にかかわるすべてのものに自分自身のみを映し出しているのです。だからこそ、働きかけるべき相手は常に自分なのです。

 

「誰でもカンタンにできる〔気〕の本」安田隆より

 

今よりも、うんとずっと苦しかった10年以上も前に読んだ本の中にあるこの一節。全く納得できず意味もわからず、でも何だか気になって気になってずっと覚えていた。

 

なあんだ、私はずっとこれを解き明かしたくてもがいてきたんだな、と今になるとわかる。