すれっからし手帖 II

魂のわたしとして。

本音を言う、感情を伝える。

本音を言う、

感情を伝える、

 

ということが、

トラブルを引き起こしたり、

相手に受け止めてもらえないことがあるとすれば、

 

その本音が、

その感情が、

 

自分の中で大切なものとして、

扱われていないから。

 

その本音を、

その感情を、

 

相手を断罪するための、

道具に武器にしてやろうとするから。

 

その本音も、

その感情も、

自分の中で生まれたのだから、

自分のところにやってきてくれたのだから、

それがどんなものであれ、

自分が受け取るべくして受け取ったギフトだ。

 

他人には、

その本音に対する、

その感情に対する、

責任はないのだということを知る。

 

本音も、

感情も、

乱暴にぶつけるものじゃない。

大切に丁寧に優しさという包み紙にくるんで、

相手に差し出すものだ。

 

そうして受け取った贈り物を、

邪険に扱える人は、そうはいないはず。

 

もちろん、その相手が、

大切にするのか、捨ててしまうのかは、

相手が決めたらいい。

贈ったものは、相手のものだ。

 

自分は、

自分の大切な贈り物を、

贈りたい人に、

贈れたことに満たされるはず。

 

本音も、

感情も、

何かを変えようとして、

誰かを責めようとしてやってくるんじゃない。

 

自分によって、大切に扱われ、

誰かに、世界に、贈られるためにやってくる。